子供ってどうやったらできるの? そんな疑問に幼き少年が導き出した答えは……
こんにちは!
小さい頭巾です。
僕は子供の頃、とにかくいろんなことを考えるのが好きで実現もしない自作のゲームとか漫画とかを頭の中でたくさん思い描いていた記憶があります。
そういう妄想的な、頭の中でしか起こり得ない、現実には起きない創作物が、僕の頭の中にはたくさんありました。
他にもそういう創作的な思考だけじゃなく、この世界の謎を勝手に解明するのも好きでした。
子供にとって、この世界は謎だらけで全てが未知で、それでいて答えまでたどり着けないものがたくさんありました。
少年小さい頭巾の頭の中で、中でも1番の謎は
子供はどうやって生まれてくるのか。
でした。
これに関しては相当に頭を悩ませた記憶があります。
水道の水がどこからやってくるのかとか、エスカレーターの階段はどこへ消えてしまうのかとか、子供の頃多くの謎があったけれど、それらはなんとなく
きっとこうやってできているのだろう
という子供ながらに勝手な解釈ができるレベルで、その勝手な解釈は大人になって真実を知った時、おおよそ間違ってないものでした。
でも子供がどう生まれてくるのか。
これに関してはどうにもわからず。
コウノトリが運んでくるなんてのはよく聞いていましたが、子供ながらにそんなのは嘘だとすぐに切り捨てていました。
コウノトリが運んできたとして、それなら何故母の腹の中に一旦保管したんだよ。そのまま置いていけよ、と思っていましたし
第一それならそのコウノトリは赤ん坊をどこで見つけてきて、そして何でわざわざ夫婦のいるところまで運んできたんだよ、と心の中でツッコミまくっていました。
ここまで来るとわかると思いますが、少年の僕は驚くほど可愛げのない思考を巡らせている子で、ファンタジー的なものよりも、現実的な答えを求めておりました。
それなのに、何も知らない僕にとっては子供が生まれるということ自体がもはやファンタジーみたいなもので
どれだけ考えたところで答えに近づいている感じはしませんでした。
こうして答えがわからないまま数年が経ち、無限に考えを巡らせていても仕方がないと感じた僕は、考え方をある一つの点に絞っていくことにしたのです。
その一点とは、子供が生まれるには何かしらの行為が必要であるということ。
これは間違いないと考えました。
何もしていないというのに子供を授かるというのはあり得ません。子供が生まれるにはきっと何かその原因となるものがあるはずだ。そう考えたのです。
そこで僕が目をつけたのは結婚という制度でした。
子供ができるのは夫婦間においてであるという点が、あの頃の僕の中では常識でしたので、きっとこれに何かがあると考えました。
ただよく考えると結婚というのはあくまで書類上の契約でしかなく、紙に署名とハンコを押印しただけで子供ができるというのは理屈が成り立ちません。
結婚をした、というだけでは子供ができない。
せっかく考えを絞ったというのにここで大きな壁が立ちはだかります。
きっと僕は何かを見逃している。
考えろ。何かがあるはずだ。
本当に書類だけなのか?
僕はその書類を提出する瞬間を見たことがない。
婚姻届を出すその時。
もしかしたら書類を提出する以外に何かあるんじゃないだろうか。
そうだ。
結婚だぞ。
一人の男と、一人の女の、その後の人生を決めるその行為が、書類の提出なんかだけで終わるわけがない。
この時点で僕の思考は完全に間違った方向にハンドルを切り始めました。
そして少年の頃の僕はこんな結論に至ったのです。
婚姻届を出す際に、同時に子供を産むための薬をもらうことができるんじゃないだろうか。
決まった。
もうこれが正解だ。
子供が生まれるのはその薬のおかげなんだ。
僕はこうして、世界の真理にたどり着いたわけです。
ただそうなってくると、薬というものの存在すらもなかったであろう昔の人々はどうやって子供を作っていたのだろうか。
こうして新たな疑問にぶち当たったわけです。
そしてその一つ疑問はさらなる数々の疑問へと波及していきます。
薬を飲めない人間以外の動物や虫たちはどうやって子供を作るんだ?
薬を飲むのは母だとして、どうして生まれた子供に父とも似る部分ができるんだ?
薬によって子供を作るんだとしたら、なんでコウノトリが運んで来るだなんて似非話を作る必要があったのか?
こうして子供を作る薬は多くの疑問を生み出す結果となり、結局それらの疑問を全て解決するには至らず、薬自体が間違っていたと結論づけるのが正しいのではないだろうかと、自論を放棄せざるを得ないと判断。
少年小さい頭巾は自らの思考の至らなさに憤慨したのでした。
そんなタイミングで僕はこの世界にできちゃった結婚という言葉があるのを知り、結婚以前に子供ができる可能性もあることが同時にわかると、もはや混乱するしかありませんでした。
が、しかし諦めるわけにはいきません。
僕はここで再びコウノトリの話を思い出します。
そんな嘘をつくのには何か理由があったのではないか、と。
きっと本当のことは僕ら子供には言いづらいことなんじゃないか。
恥ずかしいことなんじゃないか。
もしかしたら……男女の違い……
えっちぃことにこの答えは隠されているのではないか!!!???
まさかコウノトリの話からこの思考に至れるとは思ってもいませんでした。
コウノトリのイメージを根本からぶち壊す最悪な物語がここに誕生したわけですが
しかしここからの思考は怒涛の連続でした。
男女の違いを意識し始めてから、絶妙なタイミングで性行為……とりわけ性交渉のことを僕は偶然耳にしたのです。
その時、その行為に一体どんな意味があるのかまではわかりませんでした。
ただ、男の人のアレを女の人のあの中に入れるということだけ、そのことだけを知り、そして僕は思い至るのです。
こんな恥ずかしい行為に意味がないわけがない。
もしかしてこれこそが……
性交渉こそが……
子供を作る行為なのではないか……!??
自分の考えながらも半信半疑。
そんな行為の末に子供を授かるということが、少年にとっては論理的でなく、理屈が成り立っているように思えませんでした。
ただ生物というのは不思議なもの。
思えば転んだ時に膝に感じる痛みの理由も、放っておけば伸びる髪や爪の仕組みも、僕にはわからないのです。
そういう不思議が人体にはいっぱいあって、でもそれらは当たり前のように機能しています。
それなら性交渉こそが子供を作る行為であるということに、違和感を覚えること自体が間違っているのではないか。
僕が求めていたのは何も人体の構造や仕組みを知ることではありません。
ただ、子供がどうやってできるのか、だったはずです。
性交渉が理由であって、それをすれば子供ができるのだとしたら、それ以上の詮索はする必要がありません。
僕はここで大方の結論を出しました。
そう。
子供はセックスによってできる。
少年にとっては世紀の大発見
いや
性器の大発見でした。
しかしここまで長い間僕を悩ませたこの大きな問題を、証拠も何もない状態の自分の思考だけで結論付けたとあっては、なんだか不完全燃焼な気持ちでした。
だから僕はここでとある作戦を立てたのです。
作戦名はこちら
「母に直接聞いてはぐらかされたら正解作戦」
まんま作戦名通りですが
母に僕がどうやって誕生したのかを直接聞き、はぐらかされた場合、自分の考えを正解とみなす。
というものでした。
僕の考えが外れてしまって、子供に隠すほどでもない真実がそこにあるとするならば、きっと母はその真実を教えてくれるでしょう。
まぁそうなってしまうと最初から直接聞けばよかっただろとなってしまいますので、はぐらかされる……つまり僕の考えが正解であるということに僕は大量ベットしています。
そして僕は意を決してこの作戦を実行したのです。
僕「母よ。僕は一体どうして生まれたんだい?」
僕「何をして僕は誕生したんだい?」
僕「さあ、答えてくれ」
すると、真剣な表情をしていたはずの小さき僕に、母は半笑いでこう言ったのでした。
母「パパのちんちんをママのお股に挿れたのよ」
ー完ー